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音大院卒ウェルベック滅ぼす書評

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言いたいことはまともなはずなのにたまに変な日本語使うから許してほしいし、日本人として日本語の美しさに関しては誇りを持っているが、それとこれとは違うので、すみませんが勝手に書きます。ネタバレは含みます。

一瞬書店で目に入ったこのウェルベック/滅ぼす。表紙のデザインに惹かれてなのか、滅ぼすという単語に惹かれてなのか、分厚さに惹かれてなのか、全く分からないけど、なぜか手に取って購入したのがこの本だった。ちなみに初ウェルベック。

最初はなんだかグロいなぁと思って進んでいったし、フランスの政治の話になるし、そもそも見慣れないカタカナの登場人物がいっぱい出てくるから脳トレみたいな状況が続くなぁと思ったら、語り手がいきなり自我を持ち始めてそのユーモアにやられたわ、となったりとで、まあ確かにこの頃から不穏な空気はあったけど、どちらかというとこれから何が起こるんだろうな、という期待感があった。

期待感があった、という言い方をすると後半にかけて薄れていったという続きがくるような言い方だけど、決してそうではなく、この期待感というのは物語がどう進行していき、どんな世界が待っているのかという、んまあ恐らく、ややポジティヴな期待感だったんだと思う。それはエンタメとしてなのか、ユーモアを察知してなのかは分からないけれど、上巻の半分ぐらいまではまだなんか楽しかった。

大体、オーレリアンとその妻、もう名前も思い出したくないぐらいだけど(笑)、そいつらがウェイトを占めたなぁと思った。何を食ったらこんな地獄が思いつくんだよ、と内心笑ったけど、ウェルベックのことちゃんと調べると、少し腑に落ちた。

ピンポイントで地獄を取り上げていって感想を述べてもあまり面白くないと思うので、純粋に感じたことを書くと、それぞれの地獄の色が異なり、どこにも救いがないのかしら?と思った。特に最後は、ものすごい寂しかった。寂しかったという単純な言葉が出てくるほど、話は単純なことなのかもしれない、とも思った。にしてもなんだよあの終わり方は、止まらない地獄というか、終わらない地獄が正しい?そもそも、最初から地獄でしたか…

構成の面ではなすと、オイラはフランス映画にもフランス音楽にも同じことを思うんだけど、自分で蒔いた種をちゃんと開花させて回収しきらないよな、と、思う。口だけ界隈。ビックマウス界隈。あまり言いすぎるのもよくないよ。

確かに、政界なうのポールがいろんな事をしていって、父もテロも家族も、どの軸でも話は進んでいったけど、いつしかもう身を滅ぼす癌、自分のことしか考えなくなってきている。

Amazonレビューを見てたら、人とは本来そういうものなんだ、自分が死ぬとなったら、周りの事なんていきなり一切聞こえなく、見えなくなるもんなんだ、それがうまく表現されてると思った。的なのが書いてあった。これは、好意的な見方をした意見のようなきもする。

一方で、さっきオイラが言ったように、色々話は展開したくせに、もう知らんぷりで自分の話ばっかりになるのはなぁ、って意見もあった。

ウェルベックという天才がどちらの意図かは分からないけど、おそらくこういった私を含めた後者のオーディエンスを黙らすには甘い口づけをする以外に、一言でも強烈なものがあった方がよかったんじゃないかなと思う。一回しか使わなかった「滅ぼす」という単語に交えて、なんかうまい事言ってる所があれば、作家に対しては用意周到な印象が生まれ、後者のような読者もChu 可愛くてゴメン。

ただ、構成の面でとか言ったけど、確かに一つのテーマ、まあなんというか「素敵な嘘」に向けての多声的な進行はめちゃくちゃうまいし、これがウェルベックの技術なんだろうなとも感じた。

なんでか分からないんだけど、滅ぼすを読んでいる最中にずっと安堂ホセさまのDTOPIA(デートピア)が脳裏をよぎり続けていて、あれはすごい強烈なホモフォニーが爆発的な(破壊的な)勢いで進んでいく印象だったんだけど、滅ぼすちゃんの方は、かなり緻密に計算されて点が打たれて、設計図みたいな進行、それこそ多声的で、ポリフォニックな進行だなぁと感じた。素人が適当なことを言い、恥ずかしいと思います。すみません。

にしても、やはり強烈だったのは、ポールがセシルに言った「オーレリアンが二番目のタイプだってことは、昔から分かり切ってたことだよ」的な文章、あれは見た時に全身がゾワリゾワリ。ポワレ、という料理を想い出した。

ポールが人をそのような目線で見ていた、ということに、「人間が人間を見るとき、判断するとき」それが家庭内であっても、それは絶対的なもので、人が人を見るということは、変えられないものなんだ、と叩きこまれた気がした。そこに、人間の暗さと、残忍さがあったと思う、こんなのはテロとか癌とか、そんなんじゃない、暗さ。

なんというか全体的に、壊れたブラウン管テレビみたいに、映像の中にずっと黒い線が移り続けている印象だった。

いやーにしても、まあ長かった。寝る前に読んでた時期もあったし、お風呂に入りながら読んでいる時期もあった。読了は風呂の中だった。なんかタイトルにありそうだな。読了は風呂の中だった。

ただ、白鳥とコウモリは、前座なげえよって思ったし、後半の4割ぐらいからやっと動き始めた感じがして、それまでずっと前提知識を叩きこまれてる感じがしてウーンって所はあったけど、ウェルベックに対してそんなことが思わなかった。ということは、やはり白鳥とコウモリの前座が長いということが間接的に証明された。

いやでもね、こういったことっていうのは、単一の事象に対しての評価だけでは成り立たないから、こういう経験は大事だと思う。し、別にオイラは東野圭吾アンチでもない。

にしてもセックスのことばっか書くし、大事を揺るがすオーガズム何回言うんだよっておもってもはや読み飛ばしてたけど、あれはユーモアなのか本気で書いてるのか、まったくウェルベックちゃんったら。

まあ総じて、すごい作品だった。24歳の、四半世紀寸止めみたいな時にウェルベックに出会えたことは、なんらかしらの形で財産になってくれる気がすゆ。読書に目覚めて、「嫌われる勇気」を読み始めた人間が次にカーネギーの「道は開ける」を読むのと同じように、オイラもきっと、ウェルベックの次はショーペンハウアーを読むんだろうな、と感じています。

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